雨漏りドクタームービー

板金協同組合青年部について

雨漏りドクター、金田の半生   大阪・奈良の雨漏り・屋根工事ならK.K.B|大阪での実績多数

青年部に所属して全国の行事に参加しました。
各都道府県によって施工方法等が異なりますので自分の引き出しが増えたことが良かったです。
また各地域に友人がたくさん出来たことも大きなメリットです。

施工技術の違いに関しては、例えば、私の地域ではそもそも雪が少ないため通常の施工をしているのですが、
時々大雪が降ることもあります。
そういった時には、雪の多い地域の施工方法を知ることで応用が出来るんですね。

そういった意味でも、大変役に立つ組合です。


板金技能競技大会について

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全国の板金職人の代表が集って、課題となるものを造り精度を競い合う大会です。

9年ほど前に私も出場しました。

その時は、仕事が忙しすぎてほとんど練習できませんでした。

結果は、実は失格でした。

やはり何回もたくさん数をこなした人に勝てないんです。

但し練習できない中でも、自分の中では課題を設けて挑みました。

それは図面書きから製作完了までのスピードです。

お客様がいることを前提とした場合、早く少ない工数で 仕上げられるというのは大変意味があることだと思うのです。

そのため、その競技会では製作スピードにこだわって参加しました。

何とか一番早く完成することができ、2位には30分以上差をつけることができました。

しかし一箇所だけ組み方が逆になっており、そのため失格になってしまいました(笑)。

 


雨漏りドクター、金田の半生

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■小さい頃なりたかった職業

こんにちは、屋根雨漏りのお医者さんこと、金田恭直です。
小さい頃なりたかった職業は、歯医者さんです。
祖母が歯が悪くて、私が小さい頃、私に向かって歯を治して欲しいと言われていたんです(笑)。
中学生くらいまでは、そのつもりでいました。
その後、野球を始めて歯医者の事は忘れてしまいました。

高校は、商業高校でしたので、卒業する頃には何をするのかを考え始めました。
しかし特になりたい職業もなく、色々と探していました。

一番最初に勤めたのは、布団のリース業でした。
その時は、そこで独立して頑張るつもりだったのですが、
バブルがはじけたのをきっかけに景気に左右される仕事は
どうなのかと再検討しました。


■屋根板金業に就いたきかっけ

高校の時からの大親友が、この業界で働いていたんです。
前職を退職して暇を持て余していた時に、その友達に手伝って欲しいと言われたんです。

最初は道具の一つも何もわかりませんし、専門用語もわかりませんでした。
しかし、物を作って形にして喜んで頂くというこの仕事に大きな魅力を感じました。

最初の3年間は、1日20時間位働いていました。
ただでさえこの仕事に就いた時期が遅かったのでそれ位やらないと追いつけないという気持ちで働いていました。

この業界で一人前になるには5年から7年はかかると思います。
そこを自分は3年でマスターするつもりでやっていました。
そうなると睡眠時間を削る事しか思いつきませんでした。

知識や技術的な部分は、目標どおりの3年間でかなり追いつけたと思うのですが、
結局、時間をかけて経験を積まないと身につかないこともあるんです。
その部分に関しては、やはりその後4年~5年くらいかかりました。


■人生の転機

20歳のときですね。
母を亡くしまして私は母親に迷惑をかけていましたので母が急に亡くなってしまって本当に後悔しました。
その時をきっかけにかなり変わりました。

人はいつ死ぬかわかりませんので、その時以来、毎日、その時その時を大切に生きなければならないと考えるようになりました。

明日自分が死んでも後悔のないような生き方をしようと、そういう思いに変わりました。

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